こんにちは。精神保健福祉士のムネと申します。精神.biz のスタッフ一人です。
私の知人でアルコール依存症の方であるたつやさん(仮名)に、このたびお話をうかがうことができました。当事者のお話はとても貴重なお話であり、また、アルコール依存症の回復には欠かせないものです。たつやさんのご厚意により、ご自身の経験を精神.biz に掲載することをご了解いただきました。
アルコール依存症からの回復のエッセンスとして、有効にご活用いただければと思います。
ワードプレスのキャラクタープラグインを使用し、対話形式で掲載させていただきます。
目次
アルコール依存症は色々なものを失う病気であるということ
こんにちはたつやさん。今回はご協力ありがとうございます。
いえいえ。こんな形で協力できてうれしいです。
では早速お話を聞かせてください。
はい、では私のこと、私の考えるアルコール依存症について話していきます。
私を含めて、アルコール依存症者は自分にアルコールの問題があることを認めません。
明らかにお酒のことで問題があるにもかかわらず、人からの指摘には一切耳を貸しません。
そのせいもあって、アルコール依存症は様々なものを失います。
私も色々なものを失ってきましたが、今思うと一番辛かったのは家族を失ったことです。お酒に溺れた私を見かねて、ある時を境に妻と子供が家から出ていきました。
私にとってはそれが一つのきっかけだったと思います。
なるほど、たつやさんがアルコール依存症の治療につながったきっかけは、家族を失ったことなのですね。
はい。
しかし、妻と子供が出て行ってからも、自分に問題があることはすぐには認めませんでした。
自分が悪いような気はするのですが、それを認めると負けてしまうような気がしてしまうのです。
そのため、意地でも自分が悪いとは認めません、明らかに自分が悪いのに。
妻と子供が出て行ってからしばらくは、特にお酒の量が増えました。
お酒を飲む時は食事を食べないので、栄養状態が悪くなっていきます。ある日とても体調の悪さを感じ、病院の救急外来を受診しました。
その時診察してもらった先生からは、栄養状態が悪く、肝臓の機能が非常に悪いので、直ちにお酒をやめるように、そしてアルコール専門の病院にかかることを勧められました。
なるほど。
この時ばかりは正直ホッとした気持ちでした。
自分でも薄々アルコールの問題があることは気づいていたのですが、それを身近な家族に言われることが嫌だったのです。
今思うとプライドが許さなかったのだと思います。
身体のことの専門家であるお医者さんに言われて、初めて自分のプライド的に受け入れることができたのだと思います。
プライドが邪魔をしてしまい、アルコール依存症であることを認められなかったんですね。
そこからお酒を絶つための戦いが始まっていきました。
一人ではどうしようもないと感じたので、お恥ずかしい話ですが、実家の両親に協力をお願いしました。
しばらく実家に戻ったこともあります。40歳を過ぎたおっさんが、この歳で実家に居候です。今思うと非常に情けない話です。
ご両親が協力してくれてよかったですね。
しかし、こうまでしないと私はお酒をやめることができなかったのです。
初めてアルコールの専門外来を受診した時には、両親に付き添ってもらいました。
山の中にある大きな病院でした。私の命があるのも、その病院のおかげだと思います。
受診してからがアルコール依存症との本当の戦いだった
やっと病院につながったのですね。
私のこれまでのことを包み隠さず話しました。
先生はとても親身になって聴いてくれた気がします。気分を安定させるお薬と睡眠薬が処方され、定期的に外来に来るように言われました。
その日の夜は久々にぐっすり眠ることができたことを覚えています。
以前に比べるとお酒を飲むことに問題意識を持ったのは事実ですが、受診をしたことでお酒を飲みたい気持ちは変わりません。今思うと、そこからが私とアルコールとの本当の戦いの始まりでした。
なるほど。
私の場合、体を壊してアルコールの専門外来に繋がるまで、アルコールの問題を認めようとしませんでした。
世の多くのアルコール依存症の方は、アルコールの問題を認めようとしていません。
アルコールに問題がある人は自分のアルコールの問題を認めることが重要です。人によってそれに気づけるタイミングは違うので、なんとも言えない部部分でありますが…
確かに。
たつやさんのおっしゃる通り、治療の動機づけがアルコール依存症治療においては非常に重要ですよね。
私はアルコール依存症であるとなかなか認めることができませんでした。
そのため、医療機関に繋がるまでとても時間がかかっています。
その間に色々なものを失ってきました。お金、家族、時間、そういった物を失って、更に最後に健康を失って、やっと医療機関に繋がることができました。
そうしてアルコール依存症であることを渋々認めることになったのです。
精神科病院にアルコール依存症治療のため入院する
アルコールの専門医療機関にやっとの事で繋がるのですが、外来を受診しているのに、お酒を飲みたいという気持ちは一向におさまりません。
むしろ、瞬間的に飲みたいという欲求が爆発しそうになることもありました。
どうしても耐えることが出来ず、何度か飲んでしまったこともあります。
お酒を飲んで、救急車で何回か運ばれて、ある時入院して治療を受けてみることを勧められました。
今思うと、本当は入院なんかしたくはなかったのですが、両親を安心させるために、渋々入院を決意しました。
通院していた病院が、幸いにもアルコールの入院病床がある病院だったので、入院の話がトントン拍子に進んでいきました。
いよいよ精神科病院に入院する日が近づいてきます。
この頃はお酒が止まらなかったので、入院が決まっていたにもかかわらず、毎日お酒は飲んでいました。
お酒を飲んでいると全てがどうでもよくなってくるので、口では入院するとは言ってましたが、当日はバックれてやろうくらいに考えていたと思います。
入院日当日、例のごとく体調が悪いので、入院はやめにしてほしいと、両親に懇願しました。
しかし両親としては当然拒みます。
私を無理矢理車に乗せようとするので、こちらとしても強めに抵抗してしまいます。
抵抗する手や足が多少父と母にぶつかってしまったのだと思います。
父は激昂し、母はその場に泣き崩れました。そのような悲惨な状態になって、更に体調も悪かったこともあり、観念して車に乗り込みました。
なるほど、大変な状況だったんですね。
はい、かなり悲惨な状況でした(笑)。
そんなこんなで、入院当日、やっとのことで精神科病院にたどり着きました。
到着後血液検査やレントゲンの検査を行い、診察を受けて病棟に向かいます。
病室は個室の病室でした。しかし、こちらから鍵をかけることはできず、定期的に看護師が様子を見にやってきます。
個室ですがプライバシーも何もあったもんではありません。まあ病院なので、そういった点は仕方ないのですが。
私は病室に通されてから点滴を受けることになりました。
しばらくは食事もなしで、点滴をし続けるということでした。
気持ち悪くて食事なんて食べる気にもなりません。そういった状態が3、4日続きました。
その間体からお酒が抜ける時に出てくる症状がとても辛かったことを覚えています。
お酒が体から抜ける時に出てくる症状を離脱症状といい、身体の震えや発汗等の症状が現れます。自分の場合はそういった震えと体から気持ち悪さ、あと強烈な不安感が押し寄せてきました。
そういった苦しみに1週間くらい耐えたでしょうか。この時は離脱の苦しさから逃れるためにお酒を飲みたかったです。
離脱の症状ですね。結構ひどい離脱症状が出てしまったんですね。
しかしお酒が体から抜けると、非常に体調の良さを感じることができました。
お酒を飲まないとこんなにも体調がいいものかと、感動したことを覚えています。
実際にはこの時も内臓がボロボロなんですけどね。
精神科病院にてアルコールリハビリプログラムを受ける
お酒が抜けて体調が良くなったタイミングで、アルコールのリハビリプログラムの説明を受けました。
アルコール依存症からの回復のために、毎日専門のプログラムを実施しているとのことでした。
その時は正直そんなプログラムを受けなくても大丈夫だと思ったのですが、入院中はすることもなく暇なのでせっかくなので参加することを決めました。
色々なプログラムの内容がありました。
一番ためになったのは座学のプログラムです。
医師の先生や、薬剤師の方、栄養士さんが、座学の講座として色々なことを教えてくれました。
この講座を受けることで、アルコール依存症という病気について深く知ることができたように思います。
その他にも色々なプログラムがあり、運動のプログラムも楽しくて好きでした。
散歩を行ったり、室内で体操やヨガを行なったりしまいた。
山の中に病院があるので散歩の際に大自然を感じることができ、非常にリフレッシュできたことを覚えています
色々なプログラムがあるんですね。
近隣の自助会の人が病気に話しに来てくれるプログラムもありました。
すでに断酒出来ている、地域で生活でしている先輩の回復者の話は、とても為になる話ばかりでした。
はじめはこの人たちは何を言っているんだ、とか、自分はこの人たちほどひどくはない、という感想を持ちましたが、参加してみんなの話を聞く中で考えが変わっていったように思います。
自分のこともそのプログラムの中で話すことができるようになりました。
はじめはなんで見ず知らずの人の前で、自分のことを話さなければいけないんだと思っており、積極的に話すことはしなかったのですが、不思議なもので、回復した人の話を聞いていくうちに、自分の話を聞いてもらいたいような気持ちが芽生えてくるのです。
初めて勇気を出して自分の話をした時は、自分の心の中にある暗いものが剥がれ落ちるような、スッキリとした気持ちになったことを覚えています。
アルコールリハビリプログラムに参加するなかで、たつやさんに大きな変化があったんですね。
アルコール依存症の回復に向けて、回復のプロセスが書かれたテキストをみんなで勉強するプログラムもありました。
アルコール依存症の回復プロセスがまとまっているので、今後どのような手順を踏めば回復に向かっていけるのか整理することができました。
このプログラムに関しても、はじめは自分に全く関係ないものだと思っていましたが、テキストを進めていくうちに、これまでの自分の問題を振り返ることができ、真剣に取り組むようになりました。
自分にとってのアルコールを飲む引き金を特定し、そういった時の対処法を考えておくといったことはとても大切だと思います。
また、夜間は退院後に通う自助グループに通いました。
はじめはそのまま家に帰ってやろうと思うこともありましたが、とても温かく受け入れてもらい、退院後もしばらく通わせてもらいました。
なるほど。入院してアルコールリハビリプログラムに参加することで、いろいろなものを獲得できたのですね。
そういったプログラムを2ヶ月の入院で受講し、自宅に退院しました。
1ヶ月あたりの入院費は、医療費や室料を合わせて、25万円くらいでした。
入院費は2ヶ月ちょっとで60万円くらいだったと思います。非常に高額な入院費用ですが、今思うと、そういった入院がお酒をやめるきっかけになったのは私の人生においてとても大きな分岐点だったように思います。
60万円という費用はこれからに私の人生必要な経費だったのでしょう。
入院していなければ確実に死んでいたように思います。
私はアルコール依存症の治療で精神科に入院し、人生を取り戻すことができました。
命の値段、人生の値段と考えれば入院の費用も納得できますね。
アルコール依存症はのど元過ぎれば熱さ忘れる
たつやさんは退院後の生活はどのような感じだったのですか。
アルコール依存症者には、喉元過ぎれば熱さ忘れる、というタイプの人が多いといわれています。
私自身もこのタイプの人間でした。精神科の病院を退院した後も、結局何回か飲酒を繰り返してしまいました。
入院するときは、とても苦しい思いをしましたし、お酒が抜けてからは死んでしまうことに恐怖感も感じました。
入院中は、絶対にお酒をやめようと思い、強い決心をしたつもりでした。
しかし、退院して普通の生活に戻り、今までどおりの生活を開始すると、徐々に考えに変化が現れてきたのです。
私が特に気になった気持ちの変化は焦りでした。
当時私は仕事を休職していたのですが、早く復職しなければ、といった焦りを感じるようになりました。
受診の度に復職については主治医と相談していたのですが、いつもまだ早い、復職はもう少し待ったほうがいい、といったことしか言わない主治医の態度にやきもきしていました。
アルコール依存症にとって、復職は慎重に判断していくことですね。
ええ、いまならその先生の考えもよくわかるのです。
しかし当時は、先生がいつまでもそういった態度なので、半ば強引に復職の許可をもらって、急いで復職しました。
入院前からしばらく仕事を休んでいたので、復職後は仕事がなかなかうまくいきません。
仕事に穴を開けてしまっていたプレッシャーがとても大きかったと思います。
また、職場の同僚にはアルコール依存症で入院していたことを言っていません。
職場の一部の人にしか、自分がアルコール依存症であることを伝えていませんでした。
そのため、何で入院していたかについては一部の人しか知らないはずでした。
しかし、なぜか職場のみんなは、噂話で私がアルコール依存症で入院していることを知っているようでした。
つらい状況ですね…
そのため、何としても職場のみんなを見返すためにも、仕事で自分の回復を証明するしかなかったのです。
久々の仕事だったので、頑張るのですが、頑張りが空回りしてしまう場面が多く、その都度焦っては落ち込んでを繰り返していました。
夜も仕事のことで考え込んでしまうことが多く、なかなか眠ることができなくなりました。
気持ちが落ち込む場面が増え、それに連れて飲酒欲求が大きくなっていきました。
そして、復職して3カ月目くらいでしょうか、ついに耐えられず、コンビニでチューハイを購入し、一気に飲み干しました。
そこからはもう止まりません。再度救急車で病院に運ばれるまで飲み続けてしまうのです。
なるほど、一度飲み始めてしまったらもう止まりませんね。
飲酒欲求への対処法
たつやさんはその後いろいろあって、現在はお酒をやめられているそうですが、飲酒欲求はもうないのですか。
飲酒欲求への対処法も実践しているものがあれば教えてください。
そうですね、今は飲酒欲求が全くないといえば違いますが、これまで入院中に教えていただいた 対処法を実践していたこともありました。
飲酒欲求が出てきた時に実践する対処方法の一つに、思考停止法という方法があります。
飲酒欲求が出てきた際にこの方法を実践することで、飲酒欲求を抑えることができます。
飲酒欲求が大きくなるプロセスとして、飲酒欲求の引き金から小さな渇望が生まれ、その渇望がどんどん大きくなり、再飲酒に至ってしまうというプロセスがあります。
そのため、飲酒欲求の引き金を徹底的に避けるということが大前提なのですが、いざ渇望が生まれてしまったときに、その渇望をいかに大きくしないか、といった対処法が大切になってくるのです。
思考停止法を使うことで、飲酒の渇望を小さいうちに打ち消すことができます。
思考停止法はいくつかの方法が提唱されており、自分にあった方法で渇望を小さいうちに打ち消すことが必要です。
スイッチ法
スイッチ法は提唱されている思考停止法のなかで、道具もいらないので、非常に手軽にできる思考停止法です。
頭の中にスイッチを思い浮かべて、カウントダウンをし、0になった瞬間に頭の中が真っ暗になるイメージをし、それと共に飲酒欲求が消滅するイメージをします。
不思議と飲酒欲求が消えていきます。
スイッチのイメージは人それぞれです、電気のスイッチをイメージする人もいれば、舞台照明のような大きなスイッチ、ブレーカーのようなスイッチをイメージする人もいます。
輪ゴム法
輪ゴムを使った思考停止法も有名です。
手首に輪ゴムをつけておき、飲酒の渇望が出てきた時に、手首に付けていた輪ゴムをパチンと弾いて、手首に軽い痛みを生じさせます。
すると、不思議と飲酒の欲求が軽くなります。
刺激を手首に与えることで、飲酒の欲求が軽くなります。
人間の脳は不思議なもので、飲酒の欲求を感じさせる部分と、痛みを感じる部分が近い位置にあるためそのような現象が起こるようです。
輪ゴムでなくても手の甲を軽く叩くだけでも効果があります。
個人的にも刺激を与えるということは効果を感じました。
深呼吸
深呼吸をするということが私は一番効果的に感じました。
飲酒の欲求を感じた瞬間に、ゆっくりと鼻から息を吸い、口から息を吐き出します。
鼻から息吸って口から吐き出すところがポイントです。
できるだけゆっくりと行うことがポイントです。
私は10秒かけて息を吸い、20秒かけて息を吐くようにしています。
不思議と頭がスッキリとし、飲酒欲求が消え去ります。
この方法は飲酒欲求が出てきた時でなく、イライラした時にも使えます。
飲酒欲求は長い時間持続しない、ということが思考停止法のポイントで、深呼吸することで時間を稼ぐことができるのです。
私は深呼吸をするという方法がとても効果的でした。
是非ご自身にあった方法を探してみてください。
お酒をやめるメリットを考える
たつやさんの今のお酒に対しての考えを教えてくれませんか。
お酒っていい面と悪い面があると思うんですよ。
ただ個人的には悪い面が強く出すぎてしまって、それによって人生を狂わせられてしまった。
今はむしろお酒をやめてよかったことを考えるようにしています。
なるほど。お酒をやめるとたくさんいいことがあった、ということですか。
そうですね。お酒をやめてたくさんのいいことを感じています。
お酒にはデメリットがたくさんあります。
お酒をやめることで、そういったデメリットがなくなることが一番のメリットと言えるでしょう。
漠然とした言い方になりますが、お酒をやめて、生活の質が向上しました。
お酒をやめてみて一番実感したことは体調の良さでした。
今までお酒を飲んでいた頃にあった体のダルさが、お酒をやめてからは一切なくなりました。
まず、朝の目覚めの良さが違います。
お酒をやめてからは睡眠の質も違うのでしょう。朝はスッキリと目覚めることができます。
そのため、毎日イキイキと生活することができます。
なるほど、それはいいですね。
アルコールを摂らないことで、肝臓に負担がかかっていないためか、疲れも取れやすくなっているのだと思います。
とにかく、お酒を飲まないことで体調面に良い変化が現れました。
これまでの健康診断では、コレステロールの値が高かったり、脂質が高かったりしていたのですが、そういった数値も大幅に改善されました。
酒は百薬の長といいますが、あれは嘘で、百害あって一利なしです。
お酒をやめると時間を有意義に使える
お酒をやめてからは、時間を有意義に使えるようになったように感じます。
お酒を飲んでいた時期は、仕事が終わったらスーパーで酒を買い込み、記憶がなくなるまで飲み、翌朝二日酔いの頭痛で起きる、ということの繰り返しでした。
テレビをつけていたような気もするのですが、テレビの内容は一切覚えてないんですよね。
そういった記憶のない時間をどれだけ過ごしてきたことでしょうか。
この体験から思うのは、お酒を飲んでいた時間は全てムダな時間だったということです。
お酒を飲むと、楽しい気分にもなったような気もしますが、逆に寂しさをを感じるようなこともあったような気がします。
楽しかったような記憶もあるのですが、よく覚えていないことを考えると、全ては時間のムダだったように思います。
今はお酒を飲まないで、有意義に時間を過ごすことができています。
新たな資格を取得するために勉強をしたり、アマゾンプライムのようなサブスクで映画を観るようにしています。
おかげでお金になるような資格を取得できましたし、男はつらいよを全話視聴することができました。
そういった趣味に時間を使うというのは、同じ時間でも感じる充実感が違います。
表現が難しいのですが、確実に自分のために なっているというかというか、自分が成長しているというか、そんな感じがするのです。
そういった充実感を感じてしまうと、お酒を飲んでいた時間がばかばかしくなってきます。
なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろうという後悔で、自分が嫌になります。
お酒を飲まない人生であれば、もう少し色々とうまくいっていたでしょうし、今よりも幸せだったと思います。
そこに気づくまでかなり時間がかかってしまいました。
お酒を飲み続けていた時間は無駄だったと断言できます。
極端な話、人が幸せになれるかどうかは、お酒を飲むか飲まないかだと思います。
お酒のせいでお金をなくし、家族も無くし、時間を無くし、健康も失ってきました。
お酒がそれだけ恐ろしいものだと気づいたのは、全てを失った後でした。
お酒をやめるなら早いにこしたことはないと思います。
アルコール依存症は自分の意志ではどうにもならない
たつやさん、今日は貴重なお話をありがとうございました。
最後に強調して伝えておきたいことなどありますでしょうか。
そうですね。
個人的に強調しておきたいこととしては、アルコール依存症になってしまうと、自分の意志ではどうにもならなくなってしまう、アルコール依存症はそういった病気であるということでしょうか。
アルコール依存症の方はよく、意思が弱いとか、やめる気がない、といった、勘違いをされてしまうのです。
入院中のプログラムで勉強しましたが、アルコール依存症になってしまうと、脳の回路が以前と違う回路に書き換えられてしまい、アルコール依存症者としての脳の回路になってしまうのです。
そうなってしまうと、自分の意思ではどうすることもできません。自分の意思でアルコールをセーブすることができなくなってしまうのです。
アルコール依存症者のアルコールが飲みたくなるプロセスは、はじめに飲酒欲求の引き金があると考えてられています。
なんらかの引き金からアルコールを飲みたくなる思考が発生し、その思考によりアルコールを飲みたいという渇望が湧いてきます。
その渇望に自分の意思で抗うことは難しく、ついにはお酒を飲んでしまうのです。
そのため、お酒を飲んでしまうことについて、その人の意思が弱い、だらしが無い、という感想はふさわしくありません。
例えていうなら、我々はお腹が空いたら食べ物をたべたくなり、体が水を欲していれば喉が渇きます。
体の状態に脳が反応してお腹がすいた、喉が渇いた、ということが、生理現象として起こるのです。
アルコール依存症者の脳内でも、同じような反応が起きています。
そのため、アルコール依存症者にとってお酒を飲みたいという思いは、普通の人間がお腹がすいたので何か食べたい、ということと同じなのです。
いかがでしょう、お腹がすいている、喉が渇いている時に、目の前に食べ物、飲み物があったら、我慢できるでしょうか。
かなり過酷でしんどいことでしょう。
お酒を飲んでしまうプロセスは、引き金、思考、欲求が出てくる、といった流れなので、お酒を飲まないようにするためには、徹底的に引き金を避けることです。
引き金を避けるということはとても大変なことです。
私の引き金はテレビのcmを見てしまうことと、コンビニです。
コンビニは目撃するだけで飲酒欲求が湧いてきます。見たいテレビ番組は録画をして、CMカットの処理をしてから見るということをしていました。
私のように一度アルコール依存症になってしまった人間は、引き金を避けることで断酒を続けるしかないのです。